01 — Clinical / 臨床
三人の顔
誤嚥性肺炎で亡くなった三人の患者さんを、いまも覚えています。ひとりは、食前にいつもラジオ体操を真似て笑わせてくれた人。ひとりは、胸ポケットに孫の写真を入れていた人。最後のひとりは、スプーンを持つ手が震えながら、必ず小さな声で「ありがとう」と言った人。
僕は一年目からNSTと褥瘡チームにいて、知識は持っているつもりでした。それでも、届かなかった。「食べられない」という事実の裏には、口腔の乾燥、嚥下のタイミング、姿勢、薬剤、夜間の不穏、家族の不安と、何本もの糸が絡まっていて、正しい知識を持っているだけでは人は動かせませんでした。
「正しいことを言うのと、届く順番で言うのは違うんだよ。」
あるカンファレンスで先輩が言ったこの言葉は、骨に刻まれています。順番を間違えた正しさは、人を動かさない。この悔しさが、僕を栄養へ、数字へ、そして数字を現場に届く形に変える仕事へ連れて行きました。
02 — Clinical / 制度
門の長さ
独居の八十代の女性の担当になったことがあります。入院前は自立していて、週に一度は商店街まで歩いていた方でした。転倒、骨折、急性期でのせん妄。その余波を連れて回復期に来た彼女のカンファレンスで、議論はいつも同じ場所に戻りました。「単位の枠内で、どこに厚みを持たせるか」。
日本の医療制度は、本当によくできていると思います。住所も収入も生活史も違う人が、同じ門をくぐれる。ただ、門の長さは等しく短くて、門を抜けた先で必要が満たされないことがあります。「必要な人に、必要なだけ」。当たり前に聞こえる言葉が、現実ではいちばん難しい。
ベッドサイドでこの矛盾を噛みしめた夜の数だけ、僕の視線は制度の外の地図へ向かいました。枠の中で最善を尽くすことと、枠そのものを考え直すこと。両方やる人間がいてもいいはずだと、いまも思っています。
03 — Crossing / 越境
科長の背中が消えた日
「二年後、拾ってください」。送別会の畳の大広間で、立ち上げ期から病院を支えてきた科長に、僕はそう言いました。翌月から先輩がひとり、またひとり去っていって、朝の廊下から追いかける背中が消えました。職場が「伸び伸びできる場所」から「守りに入る場所」に変わっていくのを、肌で感じた時期です。
転機は、学生時代の実習でお世話になった先輩との再会でした。焼肉屋の煙の向こうで、その人は箸で見えない地図を描きながら言いました。
「リハがまだ流れていない場所に、最初の道を通す。そういう仕事もあるんだ。」
整形と神経だけがリハではない。産科にも、歯科にも、総合診療にも「当たり前の流れ」は作れる。誰かが最初の線を引かなければ、白地図のままだ——。この言葉が、僕をベンチャーの扉まで連れて行きました。臨床を離れる決断は、臨床を捨てる決断ではありませんでした。臨床を連れて、ベッドサイドの向こうへ行く。届けたいのは、結局いつも人です。
04 — Management / 経営
朝礼の沈黙
朝礼で月次の数字を読み上げると、目標未達のスタッフが下を向く。その沈黙を、僕は何度も見てきました。数字を出すと現場が萎縮する。だから出さなくなる。けれど経営は数字を求める。そのあいだで板挟みになる責任者の席に、僕は座っていたことがあります。
いま振り返ると、あの朝礼に足りなかったのは根性でも、詰めの強さでもありませんでした。同じ数字を、同じ画面で見て、同じ言葉で話すための道具です。数字は人を責めるためではなく、考え始めるためにある。RehaBoardというダッシュボードは、あの沈黙への返事のつもりで作りました。
05 — Research / 研究
数字は冷たいから、使える
大学院に進むとき、僕は理学療法学修士ではなく、医科学修士を選びました。専門の内側を深めるより、専門を少し外から見る場所に立ちたかったからです。そこで向き合ったのは「評価の客観性」という問題で、英語論文にまとめました。
臨床では、体組成計の数字やグラフに何度も助けられました。数字は冷たい。でも、だからこそ感情の手垢を拭い取ってくれる瞬間があります。ただし数字は、病棟の内側で完結すれば壁に飾られた絵になってしまう。絵を地図に変えて、誰がどこへ運ぶのかまで設計する。検証する目は、いまのBRIDGEの全部の活動の土台になっています。
06 — Career / 道具
記録がキャリアの言葉になる
医療職は、ものすごい量の経験を毎日積んでいます。多職種との連携、家族への説明、後輩の指導、業務の改善。それなのに転職の場面では「頑張ってきたのに、評価されない」ということが起きます。現場の経験が、キャリアの言葉に翻訳されていないからです。僕自身、医療職から事業会社に移ったとき、会議で飛び交う「BtoB」という言葉の意味から調べました。
だから、日々の仕事の記録を職務経歴書・面接・1on1で使える形に変えるアプリを作りました。キャリアログは、僕自身の転職の反省文でもあります。記録が溜まると、自分の輪郭が見えてきます。見えると、「辞めるか、我慢するか」の二択ではなかったことに気づけます。